本を読んで考える

本を読んで自分の頭で考える。読書日記。

ウィトゲンシュタイン入門 / 永井均

何について書かれた本か

哲学を知らない人に向けて、ウィトゲンシュタイン哲学の魅力を紹介する本。

この本への期待

言語と認識について考えるため青色本を読んだが一回では理解できなかった。そのため、この本を読んでからもう一度読み直す事にした。 ウィトゲンシュタインについての事前知識を仕入れる。

得た気づき

筆者である永井氏は、哲学は何かの問題に対する解答を与えてくれるものではなく、誰も議論をしてこなかった問題に対する問題意識の共有であると述べている。孔子に代表される東洋哲学から哲学に興味を持った身としては、西洋と東洋における哲学の捉え方に対する違いを認識する良い機会になった。主に諸子百家の思想の多くが子と呼ばれる先生方が弟子たちとの対話を通じてその思想を教えるという形式をとる。そのため、私の中での哲学とは先人の思想や教えそのものを指すものといった認識があった。今考えるとこれは東洋哲学もしくは春秋戦国時代の中国における哲学特有のものであったのだろう。

ウィトゲンシュタイン独我論者の代表的な人物としてあげられる。ウィトゲンシュタイン以前の独我論では、私の見えるものや私の意識の存在が最大の問題であったらしい。彼以降では、独我論を語る事のできる私とは誰なのかという事に焦点が当てられるようになったらしい。

ウィトゲンシュタインによる言葉と世界の定義を借りて考える。言葉は世界において成立している事実を人間を通して写像したものである。そのため、言葉のみを解して世界を機械に教えることは可能であるが、この方法だと人間の認知による制約を受ける。つまり、言葉を介して機械を教育すると人間の思考の域から超越することは不可能になる。このような機械からすれば世界の限界は言語によって定められることになる。

これもウィトゲンシュタインから借りてくる。言葉が意味を持つ条件として、対象の配列の仕方を正しく写し取ることが必要である。正しくとは、名辞を構成する要素の結合が可能であるように配列することである。私はこの部分は機械が有していない悟性によるものであるが、逆問題的に言葉と対象の配列を言語以外の形で機械に学習させれば悟性を獲得できるのではないかと考えた。

ウィトゲンシュタインとて他者との議論なしに仕事はできなかったので、私が一人で良い仕事をできるわけがない。

やること

デカルトを読む

感想

図を使えば一目で理解できるものをわざわざ文章で表現しているためわかりにくい箇所があった。私もこの傾向にあるので、きちんとした記事を書く際には気をつけたい。

2019/07/06