本を読んで考える

本を読んで自分の頭で考える。読書日記。

達人のサイエンス / ジョージ・レナード

何について書かれた本か

マスタリー(Mastery)、難しかったことが練習を通していくうちに簡単で楽しいものに変わっていくプロセスのこと

この本への期待

表紙を見て読みたくなったので衝動的に。

得た気づき

私自身がこのマスタリーというもの自体が大好きだということに気がついた。マスタリーとは修行における過程のようなもので、困難であったことが紆余曲折を経てそうではなくなるプロセスを指す。仕事や武術などのみでなく、車の運転から掃除などの家事に至るまで、あらゆることに関してマスタリーは存在する。 これらは遺伝子に刻まれたことではなく、練習を通して身に付けるものであるが、このプロセスは人間に特有のものである。道を追求すること自体はどのような些細な作業にも共通している。そのため、マスタリー、道を追求すること自体を追求するのも一興と思い、著者が影響を受けた本であるカプラの「タオ自然学」を読むことにした。

一を聞いて十を知るとか成長が早い人は何らかのマスタリーの経験から、マスタリー自体にある程度の慣れを持っているのだと思う。私の場合は小さな頃から様々なスポーツをやっていたため、新たなスポーツをやる際には他の人と比べて習得が早い方だと思っている。その理由として、どのスポーツにも共通する上達のためのフレームワークみたいなものを自分なりに確立している。例えば、どんなスポーツでもその道に精通している人の形を真似ることは有効である。走るにしろ泳ぐにしろデタラメなフォームではスピードがでないが、オリンピック選手のフォームを真似るとスピードが出る。しかしこれには動きに付随する筋肉を鍛える必要がある。また、体の構造は人によって異なるので自分に合ったフォームを模索するべきである。筋力が大切なスポーツにおいては女子のフォームの方が参考になる。これは一部に過ぎないが、多くのスポーツをやってきた経験からマスタリーそのものに関する知見を得てきたのではないかと思う。これはスポーツ以外にも役立っていて、本書を読み進める中でまさにこれがマスタリーなんだと実感した。

何か新たなことをやろうとする際には、脳の習慣的な部分が改まっていくプロセスがある。それを改めるのが難しく、途中で学習が停滞したりする。本書ではそれをプラトーと読んでいた。面白かったのが、ある程度熟達してきた段階でプラトーに突入した際に才能のあるものとそうでないものとでその後の伸びが変わるということに触れられていた。才能のあるものは熟練度が低いうちに壁にぶつかることがないためそれを乗り切るような精神的なタフさがない。一方で才能のないものは何度も壁にぶつかり乗り越えてきた経験があるため、その壁も乗り切ることができる。小さい頃の私は何をやっても人より上手くできず、全ての物事に対し人の三倍もしくはそれ以上は努力しないと一般のレベルに到達できなかった。そのため、この本を読んで少し勇気をもらった。当時の私には読めなかっただろうが、中学校に入ったくらいの時期に読んでいたかった。

変化を受け入れようとしない抵抗力、ホメオスタシスという概念にも触れられていた。恥ずかしながらこれは知らなかった概念である。

習慣を変えるのは難しい。禁酒やダイエットなど、世の中の人を見ていると習慣を変えるのは難しいようである。これを突破するためにはまずは受け入れ習慣をつけることなどが大切らしい。

本書内ではアメリカとの戦いとして消費主義文化圏におけるマスタリーの困難さが語られていた。私が思うに日本でも、常にものごとが楽しい状態にありプラトーがないことを当たり前と思っている人は少なくないはずだ。本でも触れられていたテレビはもちろん、近年流行りのスマホゲームの影響も大きいと思う。無料で遊べるゲームだけに、作る側としては手放されることを考慮し常にユーザーに飽きられないような工夫を怠らない。そのため常に面白い局面が続く。またインターネットもそうだ。すぐに欲しい情報が手に入るため中途半端な知的好奇心を刺激し続けてくれる。このような消費主義に染まった人間はマスタリーのような、快楽を得るまでに時間を要するような類の努力はあえてする必要がない、面倒だと感じるのも無理はない。知人や家族を含め、マスタリーを楽しんでいる人はあまり多くなさそうだ。

ゲームについて考えてみる。ゲームにも消費型のものとマスタリー的な要素を含むものがある。プレイする側の心構えもそのように分かれているように思える。コンシューマ向けゲームに対しては概して、マスタリー的要素を含むものは長期的に名作と言われ続けるように思える。具体例を出すと、ポケットモンスタードラゴンクエストモンスターズなどの戦術的なキャラクター育成型ゲーム、ダークソウルやSEKIROなどのクリアするのに非常に高度なテクニックを要するアクションゲーム、クラッシュオブクラウンなどの緻密に戦略を練り上げる必要があるストラテジーゲームなどがある。これらのゲームには頭を使って戦術を練り上げるとか、腕を磨くといった楽しみがある。一方で音や音楽で派手なエフェクトを使い一時的に快楽を得るといった志向で作られたゲームもある。こちらは一時的には爆発的に流行るが廃れるのも早いように思える。このような類のゲームで遊ぶ人はそもそも飽きやすいということもこれに寄与していると考えられる。

マスタリーの道は、常に基礎の修練が大切であり、外的な報酬などを期待しない心構えが大切である。ショーペンハウアーも「幸福について」で述べていたが、名誉のような他者からの印象に期待するのではなく、報酬については内面に閉じていることが大切だと思う。道を求めること、マスタリーそれ自体を楽しめる内面的な豊かさこそが幸福への道にもつながると思う。

最後に、精神的な暗示が力学的な動きに影響を及ぼすといったことについて書かれていた。自然科学的に原因が証明のできないことでも、実用主義者的には使えればそれで問題がないため武道の分野ではよく触れられているらしい。私自身がシステマというロシアの合気道のようなものをやっていた経験がありこれを体感した経験がある。初めて練習に参加した時のことである。私は高校大学と体育会系の部活に属しており鍛えていたため、小柄な先生とはかなりの体格差があった。驚くべきことに、その先生に軽く胸らへんを押されただけで3-4mほど吹き飛んだ。逆に私が本気で押しても無抵抗の先生を1mも動かすことはできなかった。その後に、相手を殴っり押したりする時に相手の体の中心方向へ力を加えるイメージを持てということを教わった。実際に試してみると、そのイメージを持つ以前と比べて練習相手はかなりよろけた。力学的には力が加わる方向が変化し相手の重心を崩したのだが、イメージがそれを可能にしてくれた。この経験以外にもスポーツではイメージの力は大きいということを体感している。また、リラックスすることも力を増大させるという。システマでも常に息を吐きながら動くことにより体の力を抜く。その状態で相手を押したりするが、力任せに押す時よりも相手に大きな力が加わることは経験上間違いない。このような、直感に反したことも色々とあるのだと思う。マスタリーにおいても直感や思い込みなどによってプラトーに陥ることがあると思う。

やること

些細なこともマスタリーの道だと思って楽しんでみようと思う。

感想

たまたま上司が間違えて買った本だったがとても実りのある読書だった。 子供ができたら中学校の入学祝いにでも買ってあげたい。

2019/07/06